ティータイムその15

dokusyo1このごろ思うことがある。スローリーディングという言葉が頭の中に浮かぶ、それはファーストリーディングに反する言葉であり、時代に逆行するようなものだ。

しかし、物事の本質的な善しあしはその時代にはわからず、時を経て後から違った解釈になることもよくあることであり、速読も例外ではないかもしれない・・・

そこで、ある種の速読などは、本の内容の何割かしか重要なことが書かれていないと言っており、その部分を押さえて速読することで、早く1冊の本を読む事ができ、その手法もポイントにもしている。

それはそれで、ある意味本に書かれている重要な事を理解するという事のみポイントにした場合は正しいとも言える。

しかし、セミナーや研修を例に考え直してみると、違う考えもある。

それはセミナーや研修で、何かを学び何かを得るのであるが、単に知識だけなら、先ほどの速読でいうところの一冊の本の重要な分部のみ理解すれば事が 足りるのと、なんら変わらないと思うが、セミナーや研修では、そこに参加した人たちとネットワークを築くことや、その場で聞いた内容を鮮明に記憶すること ができるし、話の内容以外にも収穫となることが多々ある。

本来読書もそうなのではないだろうか?

それは、著者にもよるとは思うし、本の書き方にもよるとは思うが、伝えたい重要な事をわかりやすく伝えるために、色々な手法でアプローチしたりしている。

つまり、あまり重要でない分部は、重要な分部をより理解できるようにするための布石となっていることも多々あると思う。

たとえば、商品の品揃えを考えてもらいたい。なんらかの販売の仕事に携わった方なら、わかると思うが、売れないような色目の商品や売れ筋ではない商品も陳列することと思う。

それは、その脇役があるから、主役が目立つので、結局主役が売れる。もちろん、趣味趣向が異なる方もいるので、その方々にも対応できるとというものだ。

また、音楽もそうだろう。さびの部分だけであれば、すぐに飽きてしまうだろう。

小説だってそうだ、たとえば、推理小説の最後の種明かしの分部だけであれば、その推理小説の核心の分部は理解でき、普通に読んだ人と話をしても、取りあえず対応することは出来るだろが、読んだ満足感はあまりないだろう。

つまり、重要、売れ筋、さび、核心などの中心にあたるものは、脇役であり主役に花をもたせる存在があってこを、十分に主役が主役であり得るわけだ。

そろそろ話しを戻すが、ある種の速読は、そこを飛ばすわけなので、人によっては十分な理解をすることが怪しくなってしまうことも考えられる。

その結果、その読書自体から何かを得て、そこからさらに発展させ新しい何かを生み出すなどという芸当は難しくなってしまうのではないだろうか?

またそれは、単に知識を得るということになるだけではないだろうか?

何だか話が複雑になってきたので、ここで一度整理したい。

つまり、著者の意図したように、ストーリー展開された本(小説の事を言っているのではないビジネス書など)を、ゆっくり(これはファーストリーディングに対するいみでゆっくりと表現しているが普通の読書速度の事を指している)読んでいる最中に、自分の想像力を働かせ、本に書かれている内容を十分に理解し、これは無意識ではあると思うが、さらに自分の持っている何かと組合わせることで、新しい可能性を脳の中に作っていく。

その為にも、スローリーディングの必要性も大きいのではないかと思う。

もちろん、これは全ての速読について否定するものではない。

あくまでもスローにはスローの良さがあるのでは?といいたいだけだ。

とここまで書いて、ふと思い出した。

速読だからこそ理解力が上がる場合があるということだ。

たとえば速読や速度を早くして音声を聞くことで、(速○という言葉は商標の関係で使えないので・・・)普段使われない脳の領域が使われて、その結果、より理解力がますこともあるというものだ。

また、速読手法自体に、いろいろな技術を用いて、総合的に理解力がますような速読手法を取る場合もある。

つまり、ゆっくり楽しむ旅もあれば、急いで目的地にいく旅もあるということだろう。

まあ、どちらにしろ独り言ということでご勘弁いただきたい。