アンデルセン

アンデルセン・・・おまえもか?

今回も「天才はなぜ生まれるのか」正高信男著 ちくま新書 を読んで気になったことをメモしていきたい。

「アンデルセンにとっての母語であるデンマーク語は、ドイツ語よりもっとラテン語の面影をとどめた言語体系なのである。私たち日本人にとっては、文法規則が煩雑でむずかしい。逆にデンマーク語話者にとっては、ラテン語は自分たちのことばとよく類似していて、ふつうはマスターするのにさほど苦労しなくてすむものなのである。それでもアンデルセンは学習できなかったことを、考慮する必要があるだろう。
彼は、やる気がなかったわけではない。また他の学科の成績は、決して悪くなかった。それがラテン語となると、いくら勉強しても語尾変化をマスターすることができなかった。これは一般に文法障害と言われている。一種の学習障害と考えられる。
日本語は幸か不幸か、文法規則が厳密でない。それゆえ障害の有無が歴然としないのだが、ラテン語は日本語と対極をなす体系である。それゆえ障害をもっている時に、それがはっきりとわかる。言語的規則性を習得することを、たいへん困難にする障害を持って生まれてくる人々が世の中には少なくない。アンデルセンは、その一人だったのである。」と書かれていた。
アンデルセンもか・・・という雰囲気ではないだろうか?

そう、アンデルセンもである。

やはり、才能と引き換えに何かを手放しているという感じであろうか?

上記にも出てきてはいるが、日本語は多少語順を変えても、それほどおかしい気がしない言語である。

そうなると、表だってはいないが、文法障害を持っている人は結構いるかもしれない。

そういえば、あの人話し方が変だとか?

あの人のメモは意味不明だとか?

思い当たる事柄が割とあるのではないだろうか・・・

実は結構いたりすると思う。

ところが、ADHDや自閉症のように目立っているわけではないので、気がつかずに普通の生活を送っていることも多分にある。

そう考えると、普通とはなにか?

才能とは何かと思ってしまう。

日本人は一般的に普通を好む種族ではあるが、普通でないというこが、才能や天才に繋がるケースがあるならば、普通と違ってもいいではないだろうか。

もちろん、周りに迷惑をかけてもいいと言っているわけではない。

特に、親が自分の子供をみて、普通と違うということを悩むより、いいところを見て、才能を伸ばしてみるのも、いいかもしれない。