グラハム・ベル

グラハム・ベルまでも・・・

今回も「天才はなぜ生まれるのか」正高信男著 ちくま新書 を読んで気になったことをメモしていきたい。

「1890年、ベルは妻に次のような手紙を書き送っている。『私は歳をとるにつれて、自分の中に引きこもり、自分の思考にふける傾向が、ますます強くなってきている気がします。父やおじに見られた傾向がもっと極端な形で出ているようなので、そういう血筋なのだと思います。子どもにも見られるものの、 さほどひどくないのは、まだ幼いからでしょうか。こんな傾向がないのは、あなただけです。だからあなたこそ、私を外の世界とつなぐ、大きなきずななのです。』(ブルース、唐津一訳【孤独の克服】NTT出版)<中略>彼自身が察していたように、遺伝的に先祖から受け継いだ、一種の資質なのだと思われるのである。高機能自閉症、あるいはアスペルガー症候群と呼ばれている障害をベルが負っていたことは、まず疑問の余地がない。<中略>『あなたはいつも、他人のことに気をつかっていますね。でも私はどういうわけか人々のことより、物事に興味があるのです。ひとりひとりの個人というものより、全体としての人類というものへの関心の方がずっと強いのです。』(前掲書)」と書かれていた。
あのグラハム・ベルもだったとは・・・

と思われているのではないだろうか・・・

いろいろな偉業を達成してきた人間はなぜかこうなっている。

というより、もともと他人とは異なる為、このような偉業を達成する。

そう考える方が自然のような気さえするのではないだろうか?

理論的に考えればなおさらそうだろう。

それは、一般人と異なるから、異なった視点でモノを見たり考えたりする事が出来る。そのうえ、自閉的性格の場合、こだわりをもって物事に接するので、とことん追求し、最後はなにか一般人には想像もつかないような事を達成したりする場合がある。

もちろん、全てそのような人たちが偉業を達成するわけではないが、他人と異なるということは、違う視点で物事をみたり、考えたりするから、何か成し遂げる可能性は高いかもしれない。

そう思うと、軽度発達障害で悩まれている親御さんは、自分の子供をプラスの側面からよく見ることをお薦めする。

何度もいうが、プラスの側面からだ。

こちらが常識に捕らわれていると、子供のプラスの面に気がつかないこともあるので、常識をわすれてみるといい。

しかし、それができなから、普通の人となるわけで、それゆえ子供を理解できないということにつながってしまう。

でも考えてみて欲しい、人間社会は所詮宇宙からみたら、こんなに小さい太陽系のちっぽけな惑星で、小さな社会を形成し、人間が考えた穴だらけのシステムで社会を運営しているに過ぎない。

そこから多少はずれてもいいではないか、迷惑をかけなければ他人との違いは結構、だからなにか成し遂げる可能性が高いんだから・・・と考えればいいことだ。
そして話は変わるが、グラハム・ベルの手紙には面白いことがここには書かれている。

「ひとりひとりの個人というものより、全体としての人類というものへの関心の方がずっと強いのです。」

これは大変面白いポイントだと思う。

つまり社会でいうと、一般の人は、地元や自分の住んでいる地域に興味があり、日本全体に関わることはさほど興味がない、というような感じではないだろうか?

もし、グラハム・ベルならば、きっとこう言うだろう。

「地域社会も大切だが、日本がどうあるべきか、どうしていかないといけないか、その方が、地域のことよりも気になる。」

どちらが重要かは色々と意見がわかれるとは思うし、その時代の問題もあると思うが、常に全体を考える人間がいなければおしまいである。

もちろん、普通の人はみな全体を考えないと言っているのではないが、バランスが逆なだけである。

そういう人の存在も大変重要だ。