天才

天才の秘密とは?

「天才的と思える能力は、一般的に、潜在的な手続き記憶が基盤になっています。手続き記憶が天才を作るわけです。いま皆さんがAという事象を覚えたとします。このとき同時に、Aという事象の理解の仕方も、気づかないうちに手続き記憶によって脳に保存されます。したがって、つぎにBという事象を覚えようとしたとき、Aの手続き記憶が、無意識にBの理解を助けて、容易にBを記憶できるようになります。・・・中略・・・つまり、AとBのふたつの事象を覚えると、A、B、AからみたB、BからみたAというように事象と事象の連合が生まれ、記憶した内容に、四つ(二の二乗)の効果が生まれるわけです。このように、記憶力の相乗作用には、一般的に累積(べき乗)の効果があります。」ということだそうだ。

また、勉強の目標成果を1000とした場合、自分の成績が今1とすると、勉強してランクが上がると2になり、さらに頑張ると4になる。もうひと頑張りすると、8になり、それを続けると16、32、64となるそうだ。通常はこの段階で64と1000にはとてつもない差があるので、やめたとなってしまうのが常らしい。そして、天才(1000)は違うと思うのであろう。しかし、それでも頑張ると128、256、512となり次は1000を超える。そして目標達成となるとのことであった。

たしかに、その通りかもしれない、もともとあるコンピューター言語で、壁にぶつかっていた所、別の言語でソフトを作っていたら、急にいままで???のとこ ろがわかったりすることが、たまにあった。確かに事象の連合が生まれているようだ。よく多言語を一緒に勉強するといいということを聞くケースもあるが、コ ンピュータ言語についてはその通りだった。

そして、天才的な話ではないが、自分の学生時代は理系の学科で努力した為か、割といい点が取れたように思う。しか し、文系の国語や古典、日本史、世界史は落第点ぎりぎり、しかもテストの為の勉強時間は理系のものを1としたら1.5位勉強したにもかかわらず・・・とい うことだった。きっと理系はべき乗の効果が出ていたが、文系はべき乗の効果が見えるまで、努力が足りなかったのだろう・・・。というより好き嫌いの問題 か?

否定的から肯定的へ

今回からは「エブリデイ・ジーニアス「天才」を生み出す新しい学習法」 ピータークライン著、井出野浩貴・永田澄江訳、神田昌典監修、フォレスト出版を読んで気がついたことを記載していきたい。

この本の本筋の内容から外れているが、自分にとって為になる記述があったので、メモしておきたい。
神経言語プログラミング(NLP)という学習法があり、これは神経組織についての情報を学習理論に統合するために広く使われているそうで、このなかで使われる手法のひとつに「リフレーミング」というものがあり、これは否定的に感じられる出来事を肯定的にとらえなおすというもので、具体的には「昨夜、犬がレポートを食べてしまった。苦労が水の泡になってしまい、私は泣きわめいた。でも、私は、これはもう一度やりなおすチャンスなんだと思うことにした。二度目のほうがうまく書けるはずだし、もっと理解が深まるはずなのだから」というふうに考えるということだそうだ。

たしかに、当たり前ではあるが、これが意外にできない考え方で、普通ならこの怒りを犬にぶつけるか、何かに当たらないと収まりがつかない状況だと思う。そこであえてこのような学習法があるのだから・・・と思い起こすことで、単に仕方ないと思うだけでなく、チャンスと思うことに転換しやすいかなと思うが、さて、本当にそう思えるか、今後がある意味で楽しみ・・・。

記憶のメカニズム

引き続き「エブリデイ・ジーニアス「天才」を生み出す新しい学習法」を読んで、面白いことが書いてあったので取り上げたい。

「記憶と関係のある脳の部分は、情動をつかさどる大脳辺縁系に位置しているため、恒久的に記憶される事柄は、実際の必要性よりも感情的な体験と結びついている傾向が強いのです。・・・中略・・・記憶のもつこの風変わりな構造は、私たち哺乳類の祖先にとっては便利なものでした。彼らの目的とは、食料を見つけ、生き長らえ、子孫を残すことであり、そのために強い感情をかき立てる事柄を覚える必要があったからです。より複雑な社会制度とビジネスシステムを持つ人間は、貸借対照表の詳細を簡単に覚えられるほど、記憶力を進化させる時間がありませんでした。」と記載されていた。

なるほどそうの通りであろう。しかし、上記にもあるように現在の人間はかつて無いほどに急激に文明が発展し、記憶するべく事柄が変化してしまってお り、直接的には関連のない事柄を記憶することで、生物個体にとって有利に働くような社会システムを作ってしまっているので、脳が記憶のメカニズムを変化させられないのであろう・・・であるならば、今後は感情に訴えかけるソフトを作るように努力しよう。

自閉症と天才と普通の人

今回も前回と同様に「痛快!頭を良くする脳科学」 澤口俊之著 集英社インターナショナル を読んで記載してみたい。
「サヴァン症候群の患者さんは、『自閉症』を併発しているケースが圧倒的に多いとされています。-中略ーその患者さんの脳をしらべると、前頭連合野の活動が極端に少なくなっていることがわかっています。しかし、なかなか有効な治療法がないため、成人後まで尾を引くケースが多いのです。こうした自閉症児のなかに、サヴァン症状を見せる人がいるのです。-中略-自閉症であったナディアは5歳のころ、精神年齢が3歳と診断されます。5歳でIQは50ほどだったという。ところが、彼女に絵を描かせてみると、これが芸大の実技試験でも簡単にパスするほどの腕前。-中略-さて、自閉症児にもかかわらず、ある特定の分野で天才を示す—-そこまではいいとして、ナディアの画才を認めた周囲の人々は、たぶん親心もあって、一般社会でも通用する人間に育てようと、美術以外の分野の教育を受けさせたのです。やがて、前頭連合野の成長がひとまず成人レベルに達する12歳ごろ、ナディアは一見ふつうの生徒と変わらない少女に成長します。しかしながら、豊かな画才はあとかたもなく雲散霧消してしまったのです。-中略-美大の優秀な学生に知能テストをしてみたら、ほとんどの学生で言語能力の成績が極端に低かったのです。」

この話は、非常に興味深いものだと思う、脳には活動依存的変化といことが起き、強いところが弱いところを押さえ込み、より強くなっていくものであり(簡単に言えば弱い部分を強いところが侵略していくようなもの・・・まるで人類そのものでは?)、もしナディアの芸術的才能を強化すればそのままその才能は残ったであろうが、他に向けた為、天才的才能は消えてしまった。これはスポーツで考えると良くわかるであろう。サッカーでFW・MD・DFがいる。簡単に言えば攻撃の立場が強い選手と守備の立場が強い選手がいて、その比率をどうするかで攻撃型か守備型かということになると思ってもらうとわかりやすい。点がとりたいので攻撃型の選手を入れる。ところが11人しか使えないので、守備の選手を一人減らす。そうすると攻撃の立場が+1人で守備が-1人となる。これと同じように思ってももらうと脳の活動依存的変化について、理解がしやすいと思う。しかし、脳は監督がいてジャッジできるわけではないので、困ってしまうわけだ・・・

皆さんも良く知っているエジソンなんかも学校で勉強ができなかったが、発明という分野でとんでもない才能をあらわしている。そのようなことから天才と変人の差はと考えてみると、一般的に難しいと思われる、芸術・学問・スポーツの分野で特別な才能を示す人は天才とよばれるが、それ以外の分野に精通してる場合、変人といわれるような気がする。単に、分野が違うこともあるのではないかと思う。もちろん、天才がおかしいといういみではないし、すべてなんでもできる超天才的人もいるかもしれない。

別の言い方をすると一般的ということは、すべて平均的ということであり、天才や変人はある分野で特別の能力を示すもので、他の分野ではあまり目立っていないか、平均より劣っている場合も多いと思われる。

たとえば特別な才能がなくても、ソーシャルスキルが普通レベル以上であると、それは普通の人に見えるのだろう。というより、それが普通の人なのだろう。そう考えるとどちらがいいのかと思ってしまう。天才的才能を持って、普通の世界で生きづらいほうがいいのか、特別な才能が無くても、普通に生きていけることがいいのか・・・?

選べるとしたらあなたはどちらを選択します?私はできれば前者を選びたい・・・。

どうやって可能性を伸ばすか

今回も前回と同様に「痛快!頭を良くする脳科学」 澤口俊之著 集英社インターナショナル を読んで記載してみたい。

「実験データからえたそれぞれの知能の伸ばし方をざっと挙げておきましょう。対象は子供です。

・言語的知能・・・・・豊富なコミュニケーション。童話などを読む。マルチリンガルを体得するには、ネイティブの環境にいれる。
・空間的知能・・・・・積み木や『ロゴ』などで立体物を組み立てる。モーツァルトを聴かせる。
・論理数学的知能・・・・・空間的知能と同じ。加えて、算盤などをする。
・音楽的知能並びに絵画的知能・・・・・本物の良質な芸術に触れる。自由に演奏したり、絵を描いたりする。自然に触れる。
・身体運動的知能・・・・・集団でするスポーツや遊戯に参加する。親子兄弟友だちどうしでキャッチボールをする。

—以上がデータに現れたある特定の『知能を良く伸ばす』方法論です。これらを読者の望みどおり、まんべんなく育むことは、無論至難の業です。仮に一つでも重点が置かれると、活動依存的変化が起こり、読者の意図は達成できないでしょう。」と記載されている。

上記で「読者の意図」と表現しているのは、全方位的知性をもった立派な人間(何でも出来る天才?)にすることを指している。このように書いてあることすべてをおこなうことは、決して無理ではないだろう。しかし、実際の子供を考えると、好きなものは喜んで行うだろうが、嫌いなことは、ただやっている、やらされていることとなり、決して知能を伸ばすほうには働かないであろう。

結局、好きだからこそ、その部分の知能が伸びるわけで、他の部分は伸びない、下手をすると嫌いになる。そして、やはり活動依存的変化により、ある部分が強くなり過ぎるとその部分に占領されることとなる。しかし、部分的にはある程度伸ばせる訳だから、とりあえず今回はこの辺で・・・