色彩

たとえ話、音感を色彩感覚に変えて考える

今回は引き続き「絶対音感」 最相葉月 著 小学館文庫 を読んで気になったことをメモしていきたい。

「絶対音感は、十九世紀末にドイツの音響心理学者C・シュトゥンプによって科学的な研究が行われて以来、いまだに遺伝か学習かという論争が続いている。江口も、特別な絶対音感訓練をしなくても、楽器の練習によって自然に身につける子どもがいることを認めている。その場合、アメリカの古いデータだが、イリノイ大学のA・バッチェムが一九五五(昭和三十)年に調査した結果によると、二十万人に一人(0.0005%)、音楽家でも五パーセントというごく少数の者に限られていた。だが、江口は、この調査結果に表れた盲人の絶対音感保有率に着目した。音楽家であろうとなかろうと盲人の保有率が健常者の千倍、音楽家に限っても三倍なのである。」と書かれていた。今回のメモと直接的に関係がないが、前回のメモに関連するので、あえて載せた。

前回のメモに絶対音感保有者がこの頃増えてきているのではないか・・・と書かせてもらったが、実際には古い調査結果ではあるが20万人に一人であり、音楽家でも五パーセントとはビックリするほど少ない気がする。本当にそうなのだろうか?

最近の調査結果が知りたい。どなたか教えていただけないものか・・・

ところで、今回の話はすこしここからずれるが、この音感というものを色彩感覚に置き換え考えてみたい。

つまり、通常の人は相対音感はだいたい持っているとした場合、これを視覚に置き換えると、モノクロ映像ではないが、赤色へシフトしていたり紫色へシ フトしていても、よくわからないことと同じ事になるだろう、そうすると、絶対色彩感覚が無い場合、綺麗な自然色を表現することが難しくなってしまう。も し、グラフィックアーティストなら、なんだかずれた色使いをする人という事になることもあるだろう。

そう考えると、絶対色彩感覚が無い場合、視覚に依存する通常の人間は相当苦労してしまうことになる。たとえば遠くから見たら信号の赤なのか、電灯のオレンジが区別がつかなかったり、黄色信号だと思って、スピードを落としたら、電灯の光だったとか・・・そんなことが頻繁に起きてしまうことだろう。

もし、そうなら、絶対色彩感覚がなく、たとえばモノクロに見えるゴーグルをかけて生活したら、不自由なことだらけになり、大変な事故にあうことも考えられる。グラフィックアーティストなら、まともには稼げないだろう。ただ、ここで色彩感覚について一ランクずらして考えた場合、たとえば、ほとんどの人 が、モノクロ的にしか色を判断できない。まして、表現する側にまわったら。色がはなはだずれていることだろう。そこで、絶対色彩感覚のあるアーティスト が、絵を綺麗な自然色で表現できたら、すごいということになるだろう。そして、的確な色を識別出来るので、色使いに関してはすばらしいものがあるに違いない。(それを他の人が判断出来るかはわからないが・・・)しかしながら、ずれた色を使うことで、また別の表現も出来るにこともあるだろう。きっと色彩以外の表現方法が優れていれば、別の持ち味がでることだろう。

ここで、色から、音に話を戻してみたいが、絶対音感があれば、表現したい音をきちんと表現する事ができるに違いない。(音や色の専門家の方から見る と表現がおかしいところがあるかもしれないが、ご容赦いただきたい。)ただし、音も先ほどの絵と同じように、技法や他にもいろいろと表現方法があるに違いない、その為、絶対音感は武器にはなるが、ないとどうにもならないものではないちがいない。だから、昔の統計結果では「音楽家でも五パーセント」程度なのだろう。

強引な結びつけになって、多少の論点はずれているかとは思うが、絶対音感はあって損はない。しかし、ないからといって大きなマイナスになることはないのではと思う。少なくても絶対音感保有比率はそのように物語っている。ただし、一般的な世界においてとの条件をつけたい。

ピラミッドの頂点や上部に位置するような場合は、絶対音感(絶対色彩感覚)がなければ、やはり、そこまで登り、そのポジションを維持するのは難しい のではないかと個人的には思う。もちろん例外はどこにでもあるし、別の何かが飛び抜けて優れている為に、頂点に立つということもあるとは思う。